sadayanの故郷訪問(自然)


hama
頓泊ビーチ(玉之浦町)
takahama 高浜海水浴場(TAKAHAMA:三井楽町)

  近くの高台から眺める海の色は、びっくりするほどコバルトブルーです。朝夕で色が変化するらしいが見比べたことはありません。沖縄なんか行くよりずっと綺麗ですよ。でもね、中途半端な観光開発なんで設備は整ってないです。のんびりとしたいむきには、もってこいの場所です。環境庁
この浜の隣に頓泊海水浴場があります。どこまで泳いでも足がついてしまうほど遠浅の海岸で、私の一押しの浜です。でも高浜以上に設備はありません。
hama 自然が書いた落書き

潮がひいた後の砂浜を歩いてみると写真のような模様が無数に描かれている。
これは蝶のように見えました。
tanoura 田ノ浦瀬戸(TANOURA:福江市)

  堂崎天主堂前の海岸より久賀島を望む。ここ(福江島と久賀島の間)は田ノ浦瀬戸と呼ばれ湖のように穏やかな海面を、昔は鯨が潮を吹きながら行き来していたらしい。石鯛や鯛が釣れる。
tao 田尾海水浴場(TAO:富江町)

  かつて牛で鋤をひいて貝を採っていた。
abunze 鐙瀬海岸(ABUNZE:福江市)

  近くの鬼岳火山から流れた溶岩が海に流れ込み変化に富んだいびつな海岸線を形成してます。
永世4年(1507年)16代領主囲公が、妹婿玉之浦納の謀反にあい辰の口城を攻められ、囲公はうまく馬で逃れたが、この地で鐙が切れ、陸路での逃避はこれまでと断念し漁船で沖合いの黒島に落ちのびました。しかし反逆党は黒島にせまり公は自刀させられたそうな。それ以来この地を鐙瀬(あぶんぜ)と呼ぶんだと。(鐙(あぶみ)って知ってる?馬にのったとき足をのっける所)亜熱帯を感じさせる所です。

oosezaki oosezaki大瀬崎灯台(OOSEZAKI:玉之浦町)

 ”日本で最後に夕日が沈むところ”日本最西端に位置し、東シナ海を行き交う船の安全を日本一の明るさで見守ります。ここの断崖絶壁は超壮観です。日露戦争の時、沖合いを北上するバルチック艦隊を最初に発見し、対馬沖での海戦勝利につながったとさ。(中学の先生が話してた。)
onidake 鬼岳(ONDAKE:福江市)

  300万年前に噴火した楯状火山(アスピーテ)の上に、さらに5万年前に第二次噴火によって、臼状火山(ホマーテ)が重なり合ってできたもので学術上ではシンダーコンと言うそうな。鬼岳は全山芝生におおわれ芝スキー、凧上げ、ピクニックにはもってこいの所です。近くには天文台もあり神秘な夜を味わうことも出来ましょう。
太平洋戦争終戦時この山に登ったら島の回りは米国艦隊で取り囲まれていたそうです。米国の占領下にならなくて良かったと恩師が話してた。
sirodake 城岳展望台(sirodake:岐宿町)

  城岳展望台より魚津ヶ崎公園を望む。
魚津ヶ崎公園は遣唐使船日本最後の寄泊地として「肥前風土記」等に記されている。静かに海を見ていると、大陸に夢を抱いて渡った遣唐使達の姿が浮かんでくるようです。(北大路欣也主演の映画「空海」をみると遣唐使の夢と危険な状況がよくわかります。)公園はキャンプ場になっている。
arakawa 鯨工場跡地(玉之浦町)

  ここ丹奈には、大洋漁業の鯨解体工場があった。母船方式がさかんになる前は、東シナ海で射止めた鯨を捕鯨船の船体横に括り付けて運んできてた。ナガスクジラで20mから25mあった。鯨があがると、どこからとなく情報が伝わり良く見に行った。
また、荒川(写真右奥)は温泉(弱食塩泉:温度が70度ほどあり冷やして利用)もあり湯治客・観光客でにぎわっている。発掘は大正年間である。
yamauchi山内盆地:八本木より望む(岐宿町)

福江島の中央部には盆地があります。島の中に盆地があるのは地質学上、大変貴重な存在だそうです。ここでは農業が盛んで主に米が作られており、長崎県の中でも有数の米所である。「ざまな、うんまかばい!!」(五島弁で「大変おいしい」という意味)
また、質の良い山内粘土がとれ県外にも出荷されています。



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