風がやんだら 沖まで船を出そう 手紙を入れたガラスびんを持って 遠いところへ行った友達に 潮騒の音がもう一度届くように 今 海に流そう |
霧が晴れたら 小高い丘に立とう 名もない島が見えるかもしれない 小さな子供にたずねられたら 海の碧さをもう一度伝えるために 今 瞳を閉じて 今 瞳を閉じて |
1974年当時、奈留島の高校(当時、五島高校奈留分校)に通う少女(当時高校2年)がラジオの深夜番組に送ったリクエストの手紙から始まった。 奈留分校は福江島にある五島高校の分校だった。卒業式などの式典の時も当然、五島高校の校歌が歌われた。でも、一般的にそうであるように五島高校の校歌も、地域の歴史や風物を歌ったものであった。 奈留島は、福江島から離れた島であり五島高校の校歌は相応しい内容ではなかった? 「校歌の無い私達の高校に校歌を作ってほしい!」とリクエストカードには書かれていた。 番組から依頼されて出来上がった曲が、デビューしたての荒井由実、作詞・作曲の「瞳を閉じて」だった。 (私が、この噂を聞いたのは、それから2年後の'76年だった。下宿していた私は部活で疲れた体に深夜番組を浴びせていた。「ルージュの伝言」や「飛行機雲」など新鮮な感覚だったことを、今も覚えている。下宿の先輩(五島高校出身)に奈留高校の話を聞いてびっくりした。以来、私は以前にも増して虜になってしまうのだった。) しかし、私が聞いた話とは少し違っていた。 番組を通して贈られたYumingの歌は瞬く間に校内に広がっていった。 '76年奈留分校は奈留高校として独立することになった。校歌をどうするか議論が交わされたが、Yumingが作った「校歌:瞳を閉じて」は残念ながら採用されなかったそうだ。その理由は、どこにでもありがちな理由:あまりにもポップス調で校歌になじまないというのが理由らしい。校歌は新しく作られたが、「瞳を閉じて」は愛唱歌として残っていくことになった。奈留高校では今でも、卒業式などの時に「瞳を閉じて」を歌っているそうです。(やっぱり、羨ましい!) '88年「瞳を閉じて」が高校の音楽の本に載った。それがきっかけで、「何か記念になるものを残したい・・・」という輪が広がり歌碑を作ることになった。奈留高校の校門の横には「瞳を閉じて」の歌碑がある。 その歌碑の除幕式に、実際にYumingか来てくれたそうです。その日は、天候が悪く、福岡から福江に向かった飛行機は、天候が悪い場合は福岡に引き返す条件付きで出発したそうです。そして心配してたものが、現実のものとなり福岡へ引き返したしまったようです。ここで普通なら忙しいミュージシャンだからもう来ないと思ってしまうのだが、Yumingは「次の便でもう一度チャレンジしてみる」と連絡してきたらしい。その気持ちが通じてか天候はやがて回復して次の便で福江空港へたどり着き、海上タクシーで奈留島に向かったそうです。 そのときのYumingは「音楽やってきて、今ほど良かったと思ったことはないです。こんな機会を作ってくださって、どうもありがとうございます。・・・・・本当に綺麗なところでびっくりしちゃったですね、船に乗ってて・・・・この素晴らしい自然を誇りに思ってほしいと思います」Yumingの頬に涙・・ こんな話を知ってか、YumingのDJ番組に「五島に行きたい・・・・」という一通の手紙に、「そんなに期待されても困るな、ほのぼのとした良いところ」と思ってくださいね・・・と念を押していた。そうです、五島にきてできるものは釣りかパチンコか自然を満喫して海でのんびりすることぐらいでしょうか?? |